神宿る島へ 15
待望の沖ノ島へ


参加者の100名が3艘の船に分乗して沖ノ島を目指します。私たちは、最初にスタートする船でした。遊漁船というのでしょうか。日頃は魚釣りのお客さんを沖まで案内する船なのではないかと思います。乗船時に渡された救命胴衣は必ず着用とのことでした。10人の部屋に12人がやや詰めた感じで乗船しました。約1時間15分の片道で沖ノ島へ向かって爆走です。

カメラを片手にバッグもカメラバッグも抱えて多少不自然な姿勢を続けたからでしょうか。それに加えて救命胴衣の圧迫感が船酔いを誘ってしまいました。
港を出て1時間前後あたりから気分が悪くなりました。それからはスマホのGoogle Mapで、現在地が海上の沖ノ島があとどれくらいで近づくのかをずっとチェックしていました。早くこの苦しみから解放されたい一心でした。しかし、「見学の後は、行きと同じ距離の帰路がが待っている。」という拷問のような現状に、最悪な気分でした。
実は、私の父は船乗りでしたし、祖父も漁船の船長でした。多分それ以前の祖先も島根県の漁村で漁師として生活していたと思われます。それというのに、小型船だからかこんなに船で苦しんだのは久し振りでした。血筋って関係ないんですかね。それとも慣れなんでしょうか。


ガイドの方の説明を受けながらの島の見学の際は、ほとんどエンジンを停止した状態での遊覧でしたので、多少気分が持ち直しました。ゆれる船上で気分が悪い中での撮影は、今一歩でした。かなり顔色が悪かったらしく、かみさんから心配され、笑われてしまいました。
行きは手に物を持っていたので、リラックスしてうたた寝することもできない状況だったのですが、帰りは眠ることで気分の悪さを回避することができました。添乗の関係者の方から配られたエチケット袋はお守りとなり、結局使わなくて済んだのは幸いでした。

ぼちぼち綴っていきます。


参加者の100名が3艘の船に分乗して沖ノ島を目指します。私たちは、最初にスタートする船でした。遊漁船というのでしょうか。日頃は魚釣りのお客さんを沖まで案内する船なのではないかと思います。乗船時に渡された救命胴衣は必ず着用とのことでした。10人の部屋に12人がやや詰めた感じで乗船しました。約1時間15分の片道で沖ノ島へ向かって爆走です。


カメラを片手にバッグもカメラバッグも抱えて多少不自然な姿勢を続けたからでしょうか。それに加えて救命胴衣の圧迫感が船酔いを誘ってしまいました。
港を出て1時間前後あたりから気分が悪くなりました。それからはスマホのGoogle Mapで、現在地が海上の沖ノ島があとどれくらいで近づくのかをずっとチェックしていました。早くこの苦しみから解放されたい一心でした。しかし、「見学の後は、行きと同じ距離の帰路がが待っている。」という拷問のような現状に、最悪な気分でした。
実は、私の父は船乗りでしたし、祖父も漁船の船長でした。多分それ以前の祖先も島根県の漁村で漁師として生活していたと思われます。それというのに、小型船だからかこんなに船で苦しんだのは久し振りでした。血筋って関係ないんですかね。それとも慣れなんでしょうか。




ガイドの方の説明を受けながらの島の見学の際は、ほとんどエンジンを停止した状態での遊覧でしたので、多少気分が持ち直しました。ゆれる船上で気分が悪い中での撮影は、今一歩でした。かなり顔色が悪かったらしく、かみさんから心配され、笑われてしまいました。
行きは手に物を持っていたので、リラックスしてうたた寝することもできない状況だったのですが、帰りは眠ることで気分の悪さを回避することができました。添乗の関係者の方から配られたエチケット袋はお守りとなり、結局使わなくて済んだのは幸いでした。

ぼちぼち綴っていきます。



